長きにわたって、此処で書き連ねてきた想いを、言葉遣いや、てにをは等、読みやすいように編集して、ブログ本を作成しました。
内容は、今の自分と違う考えもあったり、突っ込みどころ満載でしたが(笑)
それは、その時の感情として、そのまま残しました。
そもそも、ブログ本作成のために、このブログを立ち上げたので、目的達成です。
予想以上に時間はかかりましたが、人生の中で、そう何度も迎えることのない出来事が、一気に訪れた時間でした。
今まで、一度でも覗いてくださった方、ありがとうございました。
『あたし』が『私』になれた、もうひとつの大切な場所でした。
限られた時間の中、HPや他ブログの更新もままならず、こちらは事実上更新停止とさせていただきます。
形になった思い出を大切に、また他の場所で呟いていきます。
ありがとうございました。
2018.3.21 星野美咲
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星野美咲
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by misaki_text
| 2018-03-21 16:31
| おわりに
同じ夢を見よう 寄り添う二人に夜が優しく訪れるから
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眠っている間に見る『夢』と、未来に思い描く『夢』。
私は眠りが深いほうなので、普段はあまり『夢』を見ない。
時々見る『夢』は、とても現実的なもので、例えば仕事で何か気になる事があったり、家族のことで心配事があったりすると、それが『夢』に出てくる。
もちろん『夢』特有のつじつまの合わない時間、人、景色などのズレがあったりするけれど、大抵は精神的に安らげていない証拠だったりする。
幸せで楽しい『夢』というのは、あまり見たことがない。
なので、私の場合『夢』はあまり見なくて良い。
未来の『夢』は、その時その時で変化している。
抽象的に『こんなふうになりたい』と思っているうちは『夢』だと断言していても、それが具体化してくれば、『夢』は形を変えて『未来図』になる。
行動的なものであれば、計画性を持って着実に現実化していく。そういうスキルは我ながら長けていると思う。
何もしないで口先だけで終わるのは好まないので、ダメ元でも良いから、とにかく動いてみる。その結果、今まで後悔したことはないから、前向きに臨んでいくと、『夢』は実現すると思っている。
精神的なもの、例えば心に浮かぶ未来の想いや永続的な幸せを夢見る時は、そこにたどり着くまでの『今』を大切にするのが一番だと思う。
心の未来図は、一朝一夕では描けないから、一頁ずつ喜怒哀楽を記憶して、アルバムを綴るように、自然と先へ繋がっていく。
いろいろな経験を通して生まれた感情のひとつひとつが、私の『今』を作っていて、そうやって育んできた心が、未来へと導いていく。
今、あなたの夢は何ですか?と聞かれたら、10年後、20年後の自分を思い浮かべる。そして、私の周りにいる人たちが、みな健やかに変わらずに、側に居てくれる事を何よりも望む。
仕事は、もっとこうしたいという願望、欲望もあるけれど、優先順位の一番ではない。
私にとって一番大切なのは、私を必要としてくれる人たちだから、胸を張って宣言しよう。
『私の夢は、あなたと共に生きることです』と。
そして、あなたの見る『夢』が穏やかで幸せな光に包まれていることをずっと願い続けています。
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たどり着いたその先に待っていた あたしらしくいられる大切な居場所
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『あなたの居場所はありますか?』
ふと浮かんだフレーズを、私はずっとホームページのサブタイトルにしてきた。
子供の頃は、家庭がひとつの『居場所』だった。
母とたまに口喧嘩をすると、一人っ子の私は、家での『居場所』がなくなる。
いつも仲が良かっただけに、無言の食卓なんて耐えられない。
そこで悪いと思っていなくても、とりあえず謝ってしまおうと、ずる賢い知恵が働く。母は純粋を絵に描いたような人だったから、「お母さん、ごめんね。」の一言で、すっかり機嫌も直り、何事もなかったかのように笑顔になる。
そうやって私はまた『居場所』を取り戻していた。
父は仕事で忙しくて、滅多に家にいなかったし、同居していた祖母は、元々寡黙な人だったから、母を敵に回すと、家の中で話す人がいない。
自然と身についた処世術だったと、今振り返ると苦笑いだ。
学校にも、いつも『居場所』があった。いつの時も友達に恵まれていたし、夢中になれる何かがあった。学生時代の思い出は色濃くて、今でも褪せない。
社会に出ても、遣り甲斐のある仕事、上司や同僚、友情、恋愛、どれを取っても恵まれていた。
その時は当たり前に思えていたけれど、ちいさな愚痴や不満は、今となっては跡形もなく消えていて、楽しかった記憶だけが残っている。
昨今のニュースで目にする、親の虐待、いじめ問題、職場での嫌がらせなど、無縁の人生を送っていたのだと思う。
人生は採算が合うようにできているみたいで、その分、大人になってからは、乗り越えなくてはならない山がいくつもあった。本当に辛い時のことは、数日間記憶が飛んでいたりする。それでもなんとか乗り越えられたのは、私に『居場所』を与えてくれた人たちがいたからだ。
ありきたりの慰めなんかいらない。黙って側にいてくれるだけでいい。
「大丈夫?」とか「元気出して」とか言われても、無理に決まっているのだから、そっと見守っていてくれるだけでいい。
時間が経てば少しずつ自己治癒力で傷も癒えていくし、「ただいま」って自分の『居場所』に戻るのだから、それまで待っていて欲しい。
私の周りには、そういう理解ある人たちがいてくれた。
そして今、自分の安定した『居場所』を確立した私は、まだ自分の『居場所』にたどり着けない人たちの道標を見つけるお手伝いをしている。まだまだだけれど、日々精進。いろいろなものを吸着していく。
この緩やかに流れる時のしじまが いついつまでも続くと信じてもいい?
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『永遠』を語るには、まだ早いかもしれないけれど、この数年で私も少しは大人になった。人の命は『永遠』ではないという事を目の当たりにして、終わりゆく儚さや切なさを知ったからだ。
昔、「終わりがあるからこそ美しい」と言った人がいて、その時は、なんて刹那的で寂しい事を言うのだろうと思っていたけれど、今ようやく、その言葉の意味がわかった気がする。
物凄く幸せな時間を過ごしていると、このまま時が止まってくれたらいいのに、『永遠』に今が続けばいいのにと思う時がある。残念ながら、そういう時こそ体感時間が早くて、結果、あっという間に過ぎてしまうから、なかなか上手くいかないものだ。
でも、その幸せは、記憶の中で持続するから、ある意味『永遠』と呼べるものに様変わりする。私は、大抵の嫌な事はすぐに忘れて、嬉しかった事、楽しかった事を鮮明に覚えている性質らしい。だから、月日が経つほど、思い出は美化されて幸せ度数が増えていく。喧嘩した事は覚えていても、理由を忘れていたり、その時発した言葉も、言われた言葉も忘れている。我ながらおめでたい性格だとは思うけれど、過ぎた事をいちいち言わないだけ、多分、相手もラクなのではないかと、都合よく解釈している(笑)
『永遠』が簡単に手に入らないものだと気づいてから、私は以前にも増して積極的に行動するようになった。今の比較的安定した生活が、何かの原因で壊れるかもしれない。そうしたら、生きていく事で精一杯で、仕事を選んだり、友達と遊んだり、趣味に没頭する時間なんてなくなるだろう。人災はまだしも、天災に関しては、どうにもできない部分もあるし、『永遠』を信じなくなったら、『瞬間』を楽しまなくちゃと思うようになった。
やりたい事はやってみる。迷ったら、とりあえずGO!時に流されて動いてみるのも悪くはない。そこからまた、想定外の可能性が導き出される事もあるのだから。
思えば、今までの人生もその繰り返しだった気がする。計画性があるようで、肝心なところは、運や勢いや行動力で乗り越えてきた。私にとっての『永遠』は、刹那的な感情が寄り集まって創り出される集大成なのかもしれない。
そして、『永遠』を口にしないけれど、心の中では切望している、もうひとりの私がいる。
あなたが笑顔でいてくれる 心穏やかに眠ってくれる それがあたしの存在理由
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人は、誰かに認められたくて頑張っている。
もちろん、自分自身のためもあるけれど、その結果誰かを幸せにしたり、一緒に喜んでくれる人がいるから、頑張れる力が湧いてくる。
他の誰かじゃなくて、自分にしかできないこと。変わりはいないという特別なステイタスが欲しいと思うのは、決して贅沢なことではないだろう。
息子が生まれてしばらくは、彼の存在があたしのすべてだった。
ちっちゃな手、あどけない目、ふわふわのお尻(笑)、赤ちゃんって本当に可愛らしい。私がいなかったら、この子は生きていけないという使命にも似た責任感が、存在理由へと繋がっていた。
もっとも、人懐っこさを私から受け継いだ息子は、ご近所のおばさまに抱っこされると「○○さんちの子になる」と軽く言っていたけれど(苦笑)
育児という最高に楽しくて、最高に大変な仕事が一区切りついてしまうと、私は他に存在価値を求めるようになった。正確には、無意識のうちに求めていた。
ホームページやブログを始めたのも、「なんとなく」だったけれど、潜在意識の中で自分発信の場を探していたのだと思う。初めの詩集を作ったのも、ただの趣味の延長ではなく、私の中の強い想いがあった。流されているようで、舵を取っていたのは自分だったかもしれない。
私は、仕事でも、存在理由を求めていた。誰にでも出来る仕事は嫌だったから、私の性格や声や喋り方や笑い声や、つまりは、自分丸ごとでぶつかっていける仕事を選んだのかもしれない。
慣れない世界に飛び込んで、初めから上手く出来るわけがない。自慢じゃないけれど、不器用だし、こう見えて結構ナイーブな部分もあったりする(笑)
夢の中でも仕事していたとか、起きたら枕が濡れていたとか、笑えない思い出話もあったりする。
けれど、自分なりに壁を乗り越えた時に、そこに私の存在理由を見いだせた。私じゃなくちゃダメだって思える自信と誇りを手に入れた。
「居場所は与えられるものじゃない。自分で見つけるものなのよ。あなたは、それを見つけたの。」そう言ってくれた人には、感謝しかない。
そして今、仕事は変わっても、同じように、私は存在理由を探している。少しずつ手にしている実感を味わいながら、驕りにならないよう戒めて。
けれど、私のことだから、褒められたらすぐ調子に乗るし、何より好きな事をやっているので、ちいさな手応えでも倍増して感じる仕組みが重宝だ(笑)
私と繋がって、私を受け入れてくれた人たちを、もっともっと大切にしよう。
きっと、一番最後に残る、存在理由を感じられる私の居場所だから。