静寂に包まれるひとときは かけがえのない自分時間-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----
早寝早起きの習慣をつけなければと思いながら、はや数年。
以前よりは、幾分ましになったとは思うが、どうも私は、
誰にも邪魔されない真夜中の時間が必要なようだ(苦笑)
子供が成長して、昼間ひとりでいる時間が増えたものの、
それなりに用事があって出かけたり、家にいても、
チャイムが鳴ったり、電話があったりと、何かと落ち着かない。
真夜中は、何にも邪魔されることなく、好きなことができる
唯一の自分時間だというわけだ。
テレビを観たり、録画しておいた映画を観たり、
パソコンを開いて、HPやブログを更新したり、
ネットサーフィンしながら、好きな曲を聴いたり、
時には、時間が経つのも忘れて何かに没頭してしまうこともある。
以前は、よく真夜中に詩を書いていた。
昔の思い出に浸ってみたり、何かにインスパイアされて感情移入したり、
やたら人恋しくなったり、妄想が止まらなかったり(笑)
そういうテンションで書いた詩は、後になって読み返してみると、
あまりにも自分の素直な想いが出ているものと、見事に創られた世界のものと、
可笑しいくらい両極端だったりする。
それは、その日、その夜の気分の問題なのか、自分でも説明がつかない(笑)
さらに、真夜中過ぎて、意識が半分飛んでいる状態で書いた詩は、
翌日読んでも、誰が書いたの?というくらい記憶がない。
それでも、誤字脱字などはなくて、一応、詩として成立しているから
なんとも不思議でならない(苦笑)
自分の潜在意識で、指が勝手に動いているのかと思うと、ちょっと、
いやだいぶ怖い気がする。
とにもかくにも、真夜中は、私の心を映し出す鏡のような役割を
しているのかもしれない。
健康的な毎日を過ごすため、ある程度、規則正しい生活を送らねばと
わかってはいるのだけれど、あと少し、あと少しと、この自由な空間を
満喫しようとする私がいる。
いつも心はそばに その想いが互いを支えてる-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----
『信頼』・・・この言葉を前にして、書いては消し、消しては書いてを繰り返した。
そう容易く口にできるものじゃない。『信じる』だけなら、単純な私は結構簡単。
けれど、『頼る』となると、そこには一方的な想いだけでは、成立し得ない
大切な"何か"があると思うから。
普段、他愛もない話をしていても、滅多に連絡とらずにいても、不思議なくらいの
信頼関係が築けていると自負する人もいれば、いろいろ細かな話をしていても、
そこはちょっと違うと思う人もいる。
実際の距離感と、心の距離感は、等しいわけではないということだろう。
それはまた、知り合ってからの期間にも言えることで、
出逢ってそれほど時が経っていなくても、『信頼』に値する人もいれば、
長く付き合っていても、そこまで深く関わらないでいる人もいる。
ひとつ言っておきたいのは、『信頼』と『依存』は違うということ。
信じてるからと、一方的に頼ったり、頼られたりしたところで、
きっといつか、どちらかが疲れてしまう。
私は、それほど心の広い人間ではないので(苦笑)
ボランティア精神にも限界があるし、片寄った『信頼』の押し売りは好まない。
こんな事を書くと、冷たい人間だと思われるかもしれないが、
中途半端に優しくして、途中で投げ出すよりも、ある程度の防波堤を、
最初から作っておいたほうが、結果的には良いのではないかと、
いくつかの経験を通して、学んだつもりだ。
そして、この信頼関係というのは、一度築いたら、一生続くというような
不変・絶対なものでもないと思う。
双方が、相手を思いやる気持ちを持ち続け、何かあった時はいつでも、
全力で支えて守っていきたいと願う想いが、あり続けること。
それが欠けてしまったり、心のどこかに押しやられてしまったら、
せっかく作り上げた信頼関係にも、亀裂が走ってしまう。
元気な時は、互いにそれぞれ別の場所で頑張っていればいい。
なんだかんだ気にしながら、遠くから様子を見てるのも、
それはそれで、ひとつの形として、ありだと思う。
けれど、もし、何かにつまずいたり、ひとりじゃ居たたまれなくなったり、
誰かに寄りかかりたくなったら、迷わずに頼って欲しい。
それほど頑丈じゃないけれど(笑) 待ってるから、いつでも。
追伸:私が寄りかかった時は、どうぞ、よろしくお願いします。
縛られるほどに自由を求める 逆効果だって知ってた?-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----
『束縛』…ひと言で片付けてしまえば苦手(笑)
人間関係において、自分以外の人を頑なに縛り付ける。
それは相手に対する思いやりの欠片もない、自己中心的なことではないだろうか。
行動を監視したり、あれこれ言って自分の手の届くところに
置いておこうとしても、気持ちまでは束縛できないはず。
むしろ、そんなふうにがんじがらめに縛り付けたら、
相手はほとほと疲れ果てて、自由を求めてしまうのではないかと思う。
恋人や伴侶の携帯電話をこっそりチェックするとか
いつでも居場所がわかるように、連絡を欠かしちゃいけないとか
私にしたら、ありえない話を時々耳にする。
もっとも、そこまでするには、何らかの不安材料を
相手に与えてしまっている場合もあるのかもしれないけれど
粗探しをして、何かを知ったところで、何か得をするのだろうか。
自由奔放とまでは言わないけれど、放っておいたって
大切な場所ならどこにも行かない、行けないはずだし、
知らないほうがいいことだって、人生にはあると思う。
あくまでも、私の見解であって、個々の考え方、感じ方は違うけれど
極度な『束縛』は、相手を苦しめ、息を詰まらせ、安らぎとは程遠い
居心地の悪い空間を作ってしまうということは、多かれ少なかれ
あるのではないだろうか。
前に述べた
『嫉妬』や、後に述べる
『信頼』にも関係してくるけれど
『束縛』がプラスに働くのは、ほんとに適度な場合だけであって、
多くの場合はマイナスになるということをわかったほうがいいと思う。
相手を縛り付けるのは、自信のなさの表れと、わがままなプライドを
守りたいという、情けない行動だと私は思う。
可愛げないし、男勝りと言われるけれど(笑)それがいろいろな
人間関係を通して学んで、たどり着いた、今の私の本音。
『束縛』されない今の自分、理解ある優しき周りの人たちが
私が私でいられる、ひとつの大きな大切な理由。
日常の一瞬に溶け込む音は 時を紡ぐ魔法の調べ-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----
生まれた頃から、私たちは、たくさんの音楽に触れている。
母の歌う子守唄、言葉を覚えるより先に耳にしていた童謡の数々。
音楽は、心にも身体にも、自然に沁みこむ不思議な力。
そして、ラジオやテレビから流れる歌を覚え、歌う。
好きな歌をカセットテープに録音して、レコード、CD、MDと
形を変えて、友達と共有し、語り合ったり、好きなアーティストの
ライブに行ったり、音は人と人をも結びつける。
私は静寂が苦手だ。音がないと、なんだか落ち着かない。
ひとりで家にいる時も、見てもいないのにテレビをつけたり、
CDを流したりして、音に包まれた暮らしを送っている。
『歌』としての音楽は、メロディーと歌詞の相乗効果だろう。
その歌詞が、たまたま自分と重なったりすると、心を動かし
忘れられない音となる。
なにか他のことをしながら、BGMとして聴くには、
歌詞のない音楽、インストルメンタルが心地いい。
私は、詩を書くことを趣味としているが、音楽を聴きながら
パソコンに向かうと、自然と指が動くことが少なくない。
それは、やっぱり歌詞がないほうが、集中しやすくて、
時には、音から言葉が浮かんで詩心が動くときもある。
また、音が魔法をかけて、『集中』という空間を作り、
その中に浸ると雑念が消えて、心のまま、指が動く。
音楽が私を特別な空間に連れて行ってくれるのだ。
また、数年前から、曲先で歌詞を書かせてもらう機会に恵まれた。
作詞に関しては、素人そのものだが、これもまた、その曲の持つ
イメージやパワーが後押ししてくれて、私の中から言葉を引き出し、
紡いだ歌詞が、作品となっていく。
『音』を『楽しむ』と書いて、音楽。
好きな音を、自分なりに楽しんで、これからも共に暮らしていきたい。
思い出の中で、その時の音楽と、その頃の私が、素敵に重なるように。
掌に包み込んだちいさな想いを伝える 魔法の発信機-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----
私が初めて携帯電話を持ったのは 息子が幼稚園に上がった時。
家にいなくても何かあった時に連絡がとれるようにと、今は懐かしい
シティフォンから始まり、何度かの機種変更を経て、現在に至る。
最初は電話とメールだけのためにあった携帯電話だが、どんどん
進化する機能に追いつけないながらも、今ではカメラ機能を駆使し、
携帯サイトの更新や、電車の乗換え時刻、お店のクーポン券など
iモードもそれなりに利用している。
メールに関しては、パソコンのキーボード操作のほうがラクだけれど
いつでもどこでも使えるという手軽さは、携帯電話の利点だろう。
元来、面倒臭がりやの私は、直接電話してしまったほうが話が早いと
思うのだが、相手の立場を考えると、そうもいかない。
電車の中にいるかもしれないし、大事な会議中かもしれない。
また、育児でやっと子供を寝かしつけたところかもしれないし、
料理中だったり、お風呂に入っていたり・・・と考え出したらキリがない。
メールなら多少のタイムラグがあっても、伝えたいことは相手に届くし、
仕事の連絡などでは、口頭で伝えるよりも、文字で残したほうが間違いがない。
先にカメラ機能を駆使していると述べたが、携帯カメラの画質が良くなってから
デジカメを持ち歩かなくなった。 風景などの大きなサイズの写真でも
それなりに撮れるし、花や料理の写真なども、撮影モードを選べば綺麗に写る。
内側カメラやセルフタイマーで、一緒に記念写真も撮れる(笑
なんとも便利なアイテムになった。
今やほとんどの人が意識せずとも大なり小なり携帯依存症なのではないだろうか。
携帯を忘れたら仕事にならないとか、なんとなく落ち着かないとか
思い当たる人は多いだろう。もちろん私もそのひとりだ。
丸一日、一度も携帯に触れない日は ほぼ皆無だから。
ちいさな液晶画面の文字に、響いてくる声に、様々なメッセージや情報を得て、
または発信して、今日もまた一日が過ぎていく。
どうせなら携帯電話と上手に付き合って、我が良き相棒にしていきたいと
改めて思う。何事も程々が大事。